B LEAGUEの前身の一つであるbjリーグが誕生した2005年。さらにその数年前、早稲田大学人間科学部キャンパスにある食堂の、とあるバスケサークルの指定席で、「日本のバスケを盛り上げよう」と話をしていた先輩達がいました。彼らはBOJ (Basketball of Japan)という団体を立ち上げ、大学バスケに関する情報発信や、大学の枠を超えた4年生のさよなら試合イベント(B-1 Japan)などのイベントを企画・運営をしていました。当時のBOJの方々は、bjリーグの立ち上げにも大きく関わり貢献しています。
B LEAGUEが誕生してからのこの3年間、日本のバスケットボールが遂げた目覚ましい発展に疑いの余地はありません。だからこそ、その前身であるbjリーグをゼロから創りあげた、もしくはその前から「日本のバスケを」と尽力した、あの食堂で熱く語り、行動を起こした先輩達のような人達を再認識、再評価してほしいと思うのです。
2014年のFIBAによる国際試合の無期限資格停止という制裁の原因となった多くの問題を、当時の日本バスケが抱えていた事は確かなのでしょう。しかし、問題を抱えていたにせよ、その土台なしにこの3年間の発展はあり得なかったはずです。ネガティブな面や、それを好転させた方々の功績に焦点が当たりすぎて、ゼロから形を創ったという日本バスケへの多大な貢献の事実が無かった事のように扱われている気がするのです。BOJ出身で、bjリーグの立ち上げと運営に尽力したある先輩は、今はバスケの仕事とは関わっていないと耳にしました。今のB LEAGUEを見て、何を思うのでしょうか。
今シーズン、B1選手の平均年棒は1300万円強で、日本人初の1億円プレイヤーも誕生しました。もし仮に、日本からプロバスケリーグが無くなったとします。その時に、今と同じ金銭的評価を国外で受けてバスケットボールを生業にしていける選手は、どの位いるでしょうか。言い方を変えると、「日本のバスケットボール」という環境に依存して生計を立てている選手は、どの位いるでしょうか。
自分の国だけで受けられる評価で生計を立てる事、それは悪い事でも何でもありません。他のスポーツ、職業でも当てはまるケースが多々あります。ただ、その環境を作ってくれている今のチーム運営スタッフやファンに感謝の気持ちを抱く時に、その土台を作ったbjリーグ時代の人達の事も考えてほしいと思うのです。
bjリーグ時代の平均年棒は300-400万と聞いた事があります(違っていたら訂正してください)。選手がその年俸であったのならば、当時のスタッフ達は「日本のバスケを」という情熱で自分達の収入を埋め合わせていたのではないでしょうか。その想いを背負った現役選手が多ければ多い程、日本のバスケが発展し続ける可能性はより高くなっていくと思います。
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bjリーグ開幕同年に僕は渡米して、閉幕した2年後に帰国しました。 bjリーグの試合観戦は一度として実現せず、初めての日本プロリーグの試合観戦は2018年のB LEAGUE滋賀レイクスターズのホームゲームでした。「NBAと比べたらがっかりするよ」と言われもしましたが、会場に向かう人々の姿や、会場の一体感、試合後に会場の外でドリブルをつく子供達を見て、がっかりどころか感動すら覚えました。そこに歴史を感じたからです。試合後に書いたブログにも「13年前にプロリーグ発足に動いた人達が夢見た光景の一つだったのでは、と思い胸が熱くなりました」と記しています。
アメリカで生まれ、NBAを観てバスケが好きになった息子達は、日本に移住してもまだバスケに夢中です。滋賀レイクスターズをはじめとするB LEAGUEの存在が、大きな理由の一つです。今現在のB LEAGUEの関係者にはもちろん、一度も試合を観る事ができなかったbjリーグの関係者にも、あの食堂で話をしていた先輩達にも、本当に感謝をしています。
より深く感謝をするためにも、bjリーグ立ち上げの話をもっと知りたいです。当時の回想録があったり、思い出して書いてみようという方がいらしたら、是非連絡して下さい。僕の小さな発信網で良ければ、匿名でも共有もさせていただきます。
あるきっかけによって想いが膨らんだので、文章にしました。
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